余談ですが・・・その10 

納豆の話                              余談topへ        ホームへ

                 

納豆は関東のもので関西ではあまり食べられていない、とか聞く。
でもそれはこれまでは、の話で、これだけ日本中人々が往来する時代。今はどこのスーパーでも売っているし、
食べる人も多くなったと思う。


私の実家では子供の頃から食べていた。
母は毎年納豆を作っていた。

たくあん漬けのような大きな樽ではないけれど、小さめの(細いめの)お漬物の樽に、
近所の農家のおうちで特別にわらを貰って来て(これは土とかついていないという意味だと思う)
樽底にわらを敷き、茹でた大豆を入れる。そして又、わらをくるっと丸めてふたをするように入れ、又大豆を入れる。
それを何度か樽がいっぱいになるまで繰り返し、最後にわらで覆って、木のふたをし、大きな風呂敷で何重にも包み、
こたつに入れて布団をかぶせておくのだ。

どれくらいの期間かわからないけれど、その内、納豆の匂いがぷ~んと漂ってくると出来上がり。
毎日、丼鉢に刻み葱とかつおを混ぜて食卓に出た。

関西の片田舎に住んでいた我が家がそんな昔から何故納豆を食べていたのか?
今になって私が勝手に想像するだけだけれど・・・
姉が脊椎カリエスを病んでいたので、何とかして滋養のあるものを食べさせたいと思った母が、
新聞や雑誌などで情報を得て作り始めたのではないか?と思っている。


こたつを使うので作るのは冬だけだったけれど、ちょうど、自家製の味噌を仕込む時期と合わせて大豆を炊いていたのかもしれない。

その頃のこたつって、瓦のような材質でちょうどかまくらのような形をしていて、色は黒。
一方だけ口が開いていてそこから真っ赤に熾った炭火を入れた小さな火鉢状のものを入れる。
それに直接布団をかぶせるのだから、今思っても火事が起こりそうで怖い。
昔は今のように非燃性の繊維などなかったし・・・

昨日、テレビで納豆の話が出ていたので、ついつい昔を思い出しました。       2016年(H28)2月