余談ですが・・・                              トップページへ戻る


股関節のページを書いているとき、ついでにいろいろなことが思い出されました。
そのいくつかを、思いつくままに、書いてみたいと思っています。

その1 おばあちゃんのこと その3 ねこのはなし その5 十人?十色 その7 イナゴの話 その9 嶽山〜父との思い出〜
その2 萩の浜の思い出 その4 ミイコのこどもたち その6 七草がゆ その8 イワナシ その10 納豆の話

その1 おばあちゃんのこと

私の祖母は江戸時代に生まれました。
同級生のお祖父さん,お祖母さんはたいてい明治生まれでしたから、今から50年も前に同じことを言っても、「へえ〜!」と皆驚いてくれるので、そんな事だけでもおばあちゃんのことは自慢でした。父が明治31年生まれで、末っ子だったのですからあり得る話ですよね。

もう一つの自慢は元気で長生きだったこと。
その当時、90歳の人はなかなか周りにはいなかったので、90歳を越えてるだけでも、又、「へえ〜!」と驚かれました。郡で一番長寿だということで、知事さんから記念品をいただいたことがあります。
股関節の話の中では「よたよた・・・」という表現が出てきますが、私の知ってる限りそんなによたよたでもありませんでした。
まあ年相応に杖をついてましたがとても元気で、近所のおばあさん達が遊びに来られた時など、いつも「私は幸せ者・・・」としゃべってるのを聞いています。

父は本当におばあちゃんを大切にしていて、ちょっと風邪で寝込んだりすると、しょっちゅう枕元へ来て、「パイナップルの缶詰、買うてきてやろか?」などと言ってました。
当時(私の知ってる当時)我が家ではパインの缶詰やみかんの缶詰は“何か”のときにしか登場しない贅沢品だったのです。

80歳くらいまでは、近くの裏山でも登ったという話ですし、血圧が高かったと言う以外は、特に具合の悪いところはなかったようです。

歯は一本もなかったけれど、小さな乳鉢のような石のうすを持っていて、それで、何でもこつこつとつぶして食べていました。
例えば節分の豆でも今みたいに柔らかい豆では無く、家で煎った固い豆だったけれど、ちゃんと年の数+1個は食べていました。
(それって家中の誰よりも一番多いってことですよね
(^_-)-
豆をつぶすと言う事はチョット荒めのきなこ状態ということです)
食べ物は好き嫌いなく何でも食べていたようです。カレーも食べたし、アイスキャンデーも・・・アイスキャンデーを食べた江戸生まれの人って少ないんじゃないかなあ(^^♪チリンチリンと鈴を鳴らしてアイスキャンデー屋さんが来ると
,お皿を持って家族の数だけ買いに行きました。みんなはガリガリと噛むからすぐなくなるけど、おばあちゃんのだけは長い時間しゃぶっているからへらみたいに薄くなっていたのを思い出します。

私が、小学校6年生の時、95歳で眠るように安らかに天寿をまっとうしました。
子供だった私の記憶ですからいい加減なものですが、数日間ずう〜っと眠り続けてそのまま・・・という感じでした。

ああいう死に方が出来るなら、長生きもいいなあ、と今私は憧れています。



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