余談ですが・・・

その2


萩の浜の思い出

毎日通いました
小学校の頃は夏になると、毎日のように萩の浜に通いました。
小さい頃は近所の年上の人に連れて行ってもらって、6年生になると、今度は連れて行く番に・・・
浜の松の木の根元で着替えをしてその辺に荷物を置いて、のんきな時代でした。

小さい子を連れて行っても、浅いところで、遊ばせておいて、
自分たちは、深いところまで行って勝手に泳いでいました。
今から思うと、よく何事も起こらずにすんだな〜と冷や汗ものです。
勿論、途中で最低一回は砂の上に上って甲羅干しは忘れずにしましたけれど・・・
さすがに田舎もその後の時代は、親が交代で連れて行って監視をしたそうですが・・・

それなのに泳ぎはうまくならない(^_^;)
自分の肩くらいの深さまで行って、足の指で砂を掘ります。すると、よくシジミがとれました。
そんな事ばっかりやって遊んでいたので、毎日浜に通っていながら、少しも泳ぎはうまくなりませんでした。競泳台と競泳台の間隔がちょうど50mくらいあったでしょうか?
それの半分くらいの距離が我流の平泳ぎとも犬かきともわからない泳ぎ方で泳げるギリギリでした。

自分の背の届く深さギリギリまで行くと、10mくらい先に飛び込み台がありました。
勿論そこは背が届きません。
そこで、エイッと言う決心で飛び込み台まで泳ぎます。
帰りも、又、エイヤッと泳ぎだし、大分泳いだから(自分としては)もう足が着くだろうと立った時、
ずぶずぶっと頭まで沈んだりすると、もう死に物狂いです。
往きも帰りもボートなどに会わないように十分周りを見計らって出発するのですが、
運悪くボートやロマンスボート、ヨットなどがくることもあります。
何度”もう死ぬ〜!”と思ったことかわかりません。

帰り道
3時頃になると、沖合いにはり丸という客船が通ります。今だと”ミシガン”というところでしょうか?
「はり丸が通るからか〜えろ」と、
それが合図のように帰り支度を始めました。
帰りはみんな疲れ切って、往きの倍ほど時間をかけてだらだらと歩いたものです。

もう一つの楽しみ
私の家は江若鉄道(当時JRはまだ通ってなかった)の駅から萩の浜に向かう途中にあるので、
土、日曜ともなると、浜へ向かって沢山の人が通っていかれます。街の人の、当時最新のファッションを、
店番をしながら、見せてもらうのは本当に楽しみで見飽きることがありませんでした。

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