余談その9

嶽山 〜父の思い出〜      平成24年7月11日      余談topへ     ホームへ


7月9日は亡父の誕生日だった。

ちょうど一日前の8日、兄の一周忌があり、あ!明日はお父ちゃんの誕生日!と気づいた。

そしてその日は嶽観音のお祭りの日でもある。

ちょうどその縁のある日に生まれた父は嶽観音を心から信仰していて、私が子供の頃は、観音経を写経して、毎年おさめていたことを覚えている。

お祭りの縁日は子供の頃、行ったことがあるけれど、白髭詣りのとは違ってこじんまりしたものだった。
白髭の時はかき氷が定番だったけれど、ここで覚えているのは赤い紙で括ったニッキ柴を買ったことだけ覚えている。

嶽山のご本尊は山頂にあって、麓の長谷寺からご住職様が毎日、毎日頂上まで上がられるのだと聞いていた。

その近くなのか、同じ山の途中なのか、私は未だにわからないのだけれど、麓からもはっきり見える白坂と呼んでいる真っ白の場所があった。そこは花崗岩で出来ていて、昔は水晶が採れたのだと聞いていて、探してみたけれど、見つけることはできなかった。
その白坂へは何度か登ったことがある。

学校の遠足でも行ったし、友達とも何度か登ったことがある。
木の枝を折ってお尻に敷いてその坂を滑り降りたりして遊んでいた。
いくら葉っぱのついた木の枝を敷いてもズボンはボロボロに擦り切れて薄破れ、あんまり豊かではなかった時分のことだから、母には悪いことをしたと思う。

ネットで白坂の写真を見つけたのでリンクさせて頂きました。

そこまでは登っても山頂までは登ったことはなかった。たった一度をのぞいては・・・

そのたった一度の思い出

実家は商売をしていたので、私が小さい頃は、家族みんなでどこかへ出かけるなどということは殆どなかった。特に父とは・・・
昔の写真を見ていると、姉や兄の小さい頃は、一緒に浜で撮った写真などが残っているけれど、私は父の42歳の時の子供なので、小学校へ上がる頃には50歳近かったはず。体力的にも泳ぐことなど無理だったのだろう。

いくつの時のことだか思い出せないけれど、兄がもう社会へ出て、家族が4人だけだったから、中学生の頃かなあ。
珍しく店を閉めて、両親と妹と私、4人で上岳山まで登ったことがあった。ちょうど、写経が一巻仕上がってそれを納める日に合わせたのかもしれない。季節は秋だったような気がする。
頂上の観音堂の縁側?でみんなで持っていったおにぎりを食べた。

たったそれだけのことだけれど、初めての、というより、後にも先にもたった一回きりの、家族みんなでの行楽!
嬉しくて!、楽しくて!いつまでも心に残っている。

実家の裏の離れの2階からちょうど岳山が見える。
その部屋を「対岳窓」と名づけ兄弟の学びの部屋にする?旨の額を作って飾っていたこともあった。

「有り難し 慈母観音の御迎え」という辞世の句を残して、嶽山をこよなく愛した父は65歳で旅立ちました。

今頃はあの世とやらで兄と川柳談義でもしているかなあ!